私の長い旅:修士号取得までの7年間を振り返って

私の長い旅:修士号取得までの7年間を振り返って

ついにやりました!20197

5日、ようやく、古典文学(古代ギリシャ文学)で修士号を取得することができました。始まりは201211月でした。しかし、生活の中でさまざまな困難が生じ、私の経験不足もあって、修士論文を書き上げるのに長い時間がかかってしまいました。当時は、自分がある意味「オデュッセイア」のような道をたどることになろうとは、思いもしませんでした。でも、それがかえって今の達成感につながっているのでしょう。


2年課程の最初の3学期までは、授業にきちんと出席し、課題の締め切りは必ず守っていました。でも、それは楽なことではありませんでした。当時、遠距離恋愛をしていた私は、そのことがきっかけでごまかし行為を始め、ついには攻撃的になっていました。身体的な攻撃をすることはありませんでしたが、パートナーの「ジキルとハイド」のような振る舞いを無視して、学問を安定的に続けようとするのは、非常に難しい状況でした。そうした状況があからさまになったのは、父が深刻な病で倒れたときでした(ありがたいことに、今では父は元気にしています)。私は、学会で一番手のスピーカーを務めるために、エジンバラへ行かなければならなかったのです。その余裕のない中で、パートナーの「かまってほしい」という果てしない要求に我慢ができなくなっていました。見捨てるのは怖かったですが、私は行きました。以前は「ダムナティオ・メモリアエ」(元老院が不名誉なローマ皇帝に対して行なった、悪名高い「記憶の破壊」)を望んでいましたが、年を取るにつれて、よい経験だったと思えるようになりました。


コピーライターとして働き始めたときも、順風満帆とはいきませんでした。自分は場違いだと感じましたが、何とかやり抜きました。ここギリシャでの雇用状況を思えば、どんな仕事でも、あるだけラッキーだと思うべきでした。同僚たちの退職や、3か月の給与未払いを経て、私はついに荷物をまとめ、なけなしのプライドだけを持って去りました。ただ、その会社で働いている間も、4つの学会で発表を行いました。「古典はお金にならない」と常々聞かされている者にとっては、素晴らしい成果です。仕事の面では、現在はフリーランスの校正者/翻訳者として順調にやっています。


これらの経験から、私は、学術界とその他の世界の間にある溝を埋めることが、自分の使命だと思うようになりました。古典とは、図書館で埃をかぶった古いものではなく、現代にも通じる考え方を描いているものなのです。20191129日、私は博士号取得者として正式に学術界に復帰しました。色々ありましたが、このような経験をしていなければ、私の潔さ、パートナー、友人たちという宝物を得ることはできなかったでしょう。ですから、どれだけ時間がかかっても、きっといつか自分の道が見つかるはずです。あなたの前に、道は開けています。今はまだよく見えていないかもしれませんが、あなたが見つけてくれるのを、きっと待っていることでしょう。

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