何度あきらめようと思っても、人生がそれを許してくれませんでした

何度あきらめようと思っても、人生がそれを許してくれませんでした

1995年、高校を卒業したばかりだった私は、世界一のランドスケープアーキテクト(景観設計家)になるという夢を持っていました。某州立大学で有名なプログラムを受けることが決まっていたので、そこで頑張るつもりでした。でも、8月に入学してすぐ、大学の授業は高校とは大きく異なることに気付きました。結局、私は1学期が終わる前に大学を辞めました。クリスマスを迎える頃には、パートタイムで働きながら、より自宅に近い大学に通う準備をしていました。


そして地元の大学への入学が決まり、パートタイムの仕事を続けながら、フルタイムで学業(経営管理学)をこなしました。春学期は非常に楽しく、教授たちは最初から最後まで私をサポートしてくれました。夏もそのまま大学に残るつもりでいたのですが、 学資援助の申請していなかったことに気付きました。授業中に受け取った退学通知には、授業料の不払いのために退学せざるを得ない旨が書かれていました。そのときは打ちひしがれましたが、くよくよしていても仕方がないと考え、前に進むために、まずは実家を出る決意をしました。再入学を果たすには、大学への負債を返済しなければならず、返済するには働かなければならなかったので、実家を離れて自立すべきだと考えたのです。


8年以上にわたってありとあらゆる職に就きながら、負債の返済と自分の信用回復に努めました。保育所から教会のキッチンまで、本当にいろいろな場所で働きました!8年後にようやく負債を完済し、再入学が許可されました。私としては、夜間は開かれていない日中の講義を数日間受けることに雇い主が協力してくれるものと思っていたのですが、認められず、解雇されてしまいました。この状況についてアドバイザーに相談すると、「育児と仕事を抱えながら大学を卒業するのは不可能なので、大学はあきらめた方がいい」と言われました。さらにその後、「“普通”の学生に追いつくことはできない」、「きわめて厳しい状況に立っていることをなぜ認めないのか」などと書かれたメールが送られてきました。学長に相談すると、説得に動いてくれたのですが、アドバイザーは考えを変える様子がなかったため、学長からは、専攻を変えるか転校を検討すべきと助言されました。転校後、そのアドバイザーはシャワー中に転倒し、脳に回復不能な損傷を負ったと聞きました。


学士号の取得に取り組んでいた頃、私には配偶者と赤ちゃんがおり、加えて、請求書と住宅ローンの支払いができない状況に陥っていました。その年のクリスマスから数日後、車2台の所有権を取り戻した直後、ついに差し押さえ通知を受け取りました。その状況は、学校からの給付金で打開できるものではありませんでした。さらには、泥沼の離婚劇も経験しました!その間、すでに3年が経過しており、2人の子どもを抱えるシングルマザーという状況に立たされていましたが、学士号の取得をあきらめることはありませんでした。


15年という月日をかけて、私はついに学士号を取得しました。モチベーションとなったのは、子どもたちです。子どもたちがいたおかげで、時間を管理する能力を磨くことができました。週末の午前中に課題をこなし、平日の34日を使って仕事後に家事を片付けました。公私のバランスを取れるようになったことで、「もっとできる、もっとやらなきゃ」という思いに駆られるようになったので、学位取得の2日後には修士課程に進み、その2年後に修士号を取得しました。さらに、修士課程を修了した3週間後には博士課程に進学し、再婚と第3子の出産という経験もしました。


博士課程在籍中は、当時の雇用状況に悪影響が生じるほどの訴訟問題を抱えていました。さらに、33歳だった夫が腎不全と診断され、2ヶ月間失明状態となり、3年後には心臓の合併症も発症しました。これらの困難に加え、その2年後には息子が自閉症と診断されました。この時点で、私の世界は何もかもが砕け散ってしまったと感じました。しかし、自分の世界が徐々に崩れていくように感じられていた間も、立ち止まることなく学校に通い続けました。どれだけの困難が降りかかろう、あきらめようとはこれっぽっちも思いませんでした。


状況はひっ迫していました。当時は私が家族の唯一の稼ぎ手でしたが、働き口は限られていました。自殺を考えたことも何度もあります。「子どもたちは、私より里親に育てられた方が幸せになれるのではないか」と考えるようになり、精神状態は限界に達していました。しかし、その状況を救ってくれたのは長女でした。彼女は、私を尊敬していること、私なしでは何もできないことを伝えてくれました。その言葉を聞き、私はあきらめることをやめたのです。


生き続けることを選んだ私は、20195月、公共政策および行政学の分野で、6年越しで博士号を取得することができました。その後、地元の学区の教員となりました。学生は私を受け入れてくれ、教員仲間は協力的です。そして現在、2つ目の博士号(高等教育)の取得を目指しています。


また、珍しい型のがんで叔母を亡くしたことをきっかけに、Aunt Joyce’s Kidsという非営利組織を起ち上げました。ここでは、慢性疾患や難病と闘う子どもを抱える家族のサポートを行なっています。家族から寄せられる様々な相談を聞いていると、私が歩んできた道はずいぶん恵まれていたのだと思い知らされます。私自身、今も家族の介護をしていますが、自分だけが大変なのだと感じていたことを恥ずかしく思うようになりました。


今は、過去を振り返ることなく、前だけを見ています。自分の人生にとって害のある人や、苦しいときに家族や私に手を差し伸べてくれなかった人たちから離れたことで、すっきりすることができました。また、ネガティブなエネルギーを取り込みたくないので、しばらくの間はソーシャルメディアの使用も控えています。私は、自分の人生に起きたすべてのことに感謝しています。なぜなら、それらの出来事が私を成長させてくれたからです。身に降りかかってきた泥は、私を汚すためのものではなく、私の成長を促す肥料のようなものだったのでしょう。今は、「リセットの精神」で日々を生きています。最高のものだけを受け入れ、それ以外のものは受け入れないようにしています。今の私に、そしてこれからの私に、限界は存在しないのです。

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