異国で病を得て見つけた、新しい絆

異国で病を得て見つけた、新しい絆

私は、プエルトリコ南部にあるコアモという小さな町の出身です。現在はペンシルバニア大学医学大学院(米フィラデルフィア)の博士課程に在籍しています。

プエルトリコは米国自治連邦区という位置付けにあるため、プエルトリコ人である私は留学生という立場ではないものの、米国で学ぶことには、言語や文化の面で困難が伴います。母国語はスペイン語です。プエルトリコの人はフレンドリーで温かく、助け合いの精神を持っていて、初めて会った人とも頬にキスを交わし合います。米国にいると、このような温もりのあるふれあいが懐かしくなります。母国の太陽、熱気、潮風、家族、友人たちが恋しくなります。高校時代の5人組、大学時代の2人の親友、そして両親は、私にとって最高のサポーターなのです。

博士号を取得するためにフィラデルフィアに移ってから、人生で初めて単位を落とすという経験をしました。米国での最初の1年は、毎週日曜になると泣いて過ごしており、ついには不安神経症という病気になってしまいました。実はパンデミックの今も、この病気と闘っています。しかし、故郷の皆はいつも手を差し伸べてくれます。私がメッセージに返信せずにいて「音信不通」になると、心から心配して電話をくれたり励ましたりしてくれます。これまで自分が囲まれていた人々や環境を離れて1人で生きていくのは本当に大変なことなので、人生の困難期にいる今はとくに、故郷の人たちの存在をとてもありがたく感じます。

しかし、悪いことは続きます。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、私も体調を崩してしまったのです。41日に発熱、倦怠感、息切れといった症状が現れ始めました。医師に連絡を取ったところ、ウイルスに感染しているかどうかに関わらず、私が20代であったことと、症状が「軽症」に分類されるものだったことから、検査は受けさせてもらえませんでした。呼吸療法を始めましたが、症状は改善しませんでした。そうして自室で隔離生活を送る中、ここフィラデルフィアにも、私を支えてくれる人がいることに気付いたのです。それは研究室の仲間であり、研究リーダー(PI)であり、ハウスメイトたちでした。

私はこの間、部屋を出ることを禁じられていたのですが、飢えることはありませんでした。ハウスメイトたちがドアの向こうに食べ物を置いていってくれるなど、常に気に掛けてくれていたからです。研究室の仲間やPIも、メールで体調を気遣ってくれたり、必要なものはないかと聞いてくれたりしました。こうして助けてくれる素晴らしい人たちに巡り合うことができ、ここに来て本当によかったと思えました。故郷から遠く離れた地にいても、やはり私は周りの人たちに支えられています。私はようやく、ここの友人やメンターたちと、家族のような絆でつながることができたのです。

隔離生活は辛いものです。私はインドア派なので、外に出られなくてもたいしたことはないと思っていたのですが、いざそのような生活を強いられると、散歩や友人との外出ができないことが、寂しくてたまりません!研究室での実験ですら、できないことを残念に思います(笑)!隔離期間中に、心身の健康が何より大切であることを学びました。不健康な状態では、きっと何も成し遂げられないことでしょう。

体調が快方に向かい始めたので、5月に迫っていた研究基礎力試験(Qualifying Exam)に向けて勉強をしていたのですが、症状が悪化してしまい、ついには検査を受けることになりました。現在、医師と連絡を取りながら結果を待っているところですが、母国とフィラデルフィアで支えてくれる皆のためにも、早く良くなって試験にも合格したいと思います。皆とのビデオ通話やメールの11つが私に力を与えてくれ、今はまだ出られないこの壁の向こうに、かけがえのない人々がいることを実感させてくれます。心身ともに健康な状態でまた皆と集まれる日を、待ち遠しく感じています!

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