学術界の内外で働く女性:日本の社会学的視点から

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学術界の内外で働く女性:日本の社会学的視点から

「理解に苦しむのは、女性であるという理由のみに基づいて、女性のサポートに関する議論をすることです」

このインタビューでは、学術界や職場におけるジェンダーバイアスと、ジェンダーによる違いが存在する理由について、お話を伺います。


社会学に関心を持ち、職場における女性を研究テーマに選んだきっかけについて教えてください。

大学で社会学を専攻したのは、学ぶことが楽しい分野だという確信があったからです。何年か学ぶうちに、個人が寄り集まってさまざまな場面で交流する際に生まれるダイナミズムに気づかされ、社会学への関心が深まりました。政府系の金融機関に短期間、専門職として勤務していた時、日本の大企業では、キャリアを積んでいける職についている女性が少ないことに気づきました。このことから、職業上の選択は、ジェンダーによって決定づけられているのではないかと思ったのです。(これはジェンダーによる差別があるということとほぼ同義である、というのが私の見解です。)職業という側面には、ジェンダーによってはっきりとした違いがあるということが、社会学とジェンダーの研究に対する情熱をかきたてました。


1996年に発表された論文Negotiating Gender in Uncertainty: A Mechanism of Women's Marginalization in the Japanese Workplaceで、日本の大企業では、女性に事務系職種のポジションはほとんどなかったと指摘しています。現在、このような状況は変化しているのでしょうか。

状況は大きく変わったと思います。様々な職業分野で、どの程度、どのように女性に門戸が開かれてきたかを評価するのは難しいですが、日本の企業社会は長年の間に、女性の可能性と、彼女たちが占める職業的地位の大きな変化を目のあたりにしてきました。


日本の女性研究者数の増加が報じられていますが、他国と比べればその水準は依然として低いままです。こうした状況をどうご覧になりますか?日本の職業分野と学術界における女性の割合について、お考えをお聞かせください。

これにはいくつかの見方があると思います。

第一に、日本では通常、学術界でも他の分野でも、職につく女性の割合は多くありません。これはある程度まで、ジェンダーのステレオタイプによるものだと説明できます。しかし、別の見方もあります。日本の文化では、ご存じのとおり、完璧さ、勤勉さ、奉仕に重点が置かれます。その結果、日本人は(男性も女性も)、引き受ける活動に没頭します。このため、日本人女性は、個人的生活と職業生活のどちらかを選ぶことになり、両方は選べないということになります。これが、様々な職業において女性の割合のバランスがとれていないことの理由となります。

第二に、男性対女性の割合が、その職業の人気、あるいはジェンダーバイアスがあるかどうかの指標として使われることがよくあります。職場における男女比を1対1とするよう努めている国もありますが、言うまでもなく、日本の学術界における男女比は同等ではありません。ただ、どう結論づけるにせよ、それ以前に、日本では研究職自体が誰もが憧れる専門職とはいえず、多くの人にとって魅力的なわけではないということに注意する必要があります。

第三に、男性は職業を選ぶ際、その職業に備わる社会的地位に基づいて選ぶ傾向があるのに対し、女性はやりがい(充実感)が得られる職業を選ぶ傾向があるといいます。これはある程度まで的を射ており、真実だと思います。しかし、高給や権力を求める人は、それを与えてくれる企業で働くことを選びますし、その分野に心から愛着をもち、それを徹底的に理解したいと望む人は、研究に携わることを選びます。このように見ると、仕事の後の充実感と結びつければ、研究職は「女性的」であるともいえるでしょう。

最後に、日本の学術界には、卒業生にも教員にもジェンダーバイアスが存在することを認めざるを得ません。しかし昨今は、より多様な文化を受け入れるようになってきていると感じます。例えば、私が東京女子大の学生だった時、女性の教授は一人もいませんでしたが、今では社会学部の教授のほぼ半数は女性で、大学院生の半数は女性です。


日本の学術界の女性に必要な支援とはどのようなものでしょうか?

時として理解に苦しむのは、女性であるという理由のみに基づいて、女性のサポートに関する議論をすることです。そのようなジェンダーの区別を受け入れれば、人生におけるあらゆる場面で男女の違いを際立たせ、区別することになるだけです。これは、人類の進歩を助けるという、広義の研究目的に反することだと思います。研究の成功は、その研究が男性によって行われたか、女性によって行われたかによって決まるものではなく、現象への理解や人類の進歩に役立つかどうかで評価されるものです。研究プロセス全体を最適化するにはどうすべきかなど、より広い視野を持って包括的な見地に立てば、ジェンダー等に関する覇権的概念が問題とみなされることもなくなり、研究者は皆、その分野へ貢献度によって評価されるようになるでしょう。


金野教授は、日本だけでなく米国でも学ばれました。アメリカと日本の学術界では、女性の機会に大きな違いがあると思われますか?

米国の女性教員数が日本よりも多かったのは確かです。しかし、終身雇用の検討対象となったり、大学でテニュアを得ようとしたりする場合に、女性に平等な機会が与えられていないことがよく議論の的になるのは、どちらの国でも同じでした。


現在は女子大にお勤めですが、共学の大学との環境の違いはありますか?

共学の大学を去ったのは5年前ですが、確かに女子大の環境や、女子大特有の個性はありがたいものだと思います。女子大では、女性たちは自分らしく振舞うことができ、ステレオタイプに沿った振る舞いをしなければいけないと気にすることもありません。共学だと、女性たちは時として自分を抑えてしまい、力関係の不均衡が存在するようです。この点から、女子大で学ぶことで女性が得るものは大きいと思います。


金野教授、ありがとうございました。

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