「水の世紀に歴史の知恵を」井黒忍先生(早稲田大学高等研究所)

「水の世紀に歴史の知恵を」井黒忍先生(早稲田大学高等研究所)

先生の研究分野は東洋史、なかでも中国環境史がご専門とのことですが、具体的にどのような研究をされているのでしょうか?

限りある水資源を人々がいかに利用・分配してきたのかという関心から、中国の水利史の研究を行っています。私が研究対象としているのは、中国でも北の、水が少ない地域、年間降水量でいうと500ミリ以下の乾燥地域・半乾燥地域と呼ばれるところです。そうした場所で人々がどういうふうに生きてきたのか、少ない水をどのように分け合っていたのかということを資料から考察しています。水が貴重な地域では、その水をめぐって争いが起きたりもするのですが、争ってばかりではなくて、いろいろな取り決めを結んで、平和的な解決方法を見つけ出したりもしています。そして、そういう取り決めや決まりが千年間くらいにわたって持続されている地域があります。こうしたことがなぜ可能なのか、どのようにして決まりごとが維持されてきたのかといったことを研究しています。
 
 

千年というとかなり長い期間ですね。普通、歴史というと、たとえば19世紀ドイツの対外政策みたいな、ある特定の時期についての研究が一般的な気がするのですが・・・。

僕ももともと研究を始めたころは、主に12世紀や13世紀のことを勉強していたのですが、だんだん水のことを研究するにつれて、視点が変わってきました。中国というのは国の興亡が激しいのですが、国が変わっても、人々の生活や地域の水利用の方法は変わらない。その差はなんだろうと思うようになりまして。今では、千年まではいかないですが、600年から700年のスパンでいろんな資料を見るよう心がけています。

 

具体的にはどのような方法で研究をされているのでしょうか?

現地にはさまざまな石碑が立っているんですね。その石碑に、水をどのように分けたのかとか、争いが起きた時にはその経緯や結果、どういう落ち着き方をしたのかとかが書いてあります。そうした石碑を資料として解読、分析しています。



インディー・ジョーンズみたいですね。解読って簡単にできるのですか?

難しいですね。一番難しいのは、年月が経って、石碑が擦り減って見えなくなってしまった字ですね。文字自体がはっきり残っていれば、それを読むことはできます。
 

現代の中国語とは違うのでしょうか?

違います。今の中国の人でも読めない人は多いと思います。日本でいう古文のようなもので、トレーニングをしないと読めないですね。

 

歴史というと、古文書のような文献を精読するというイメージを私は勝手に持っていましたが、先生の場合は本より石碑なんですね。

もちろん文献も使います。ただ、片田舎の人々がどのように水を使っていたのかというのは、あまり昔の中国の、特に文字として資料を書くような人々にとって、面白くないというか、はっきり言えばどうでもいい話なんですよね(笑)。政治にも直接的に関わらないし、経済的にもそんなに重きが置かれるわけでもありません。ですので、実際にはたとえばある地域で揉め事が起こったら、それを石碑で残したり、あとは言い伝えですよね、口伝えに伝えていく。そういう風なものでしか確認ができないことが多いです。

 

石碑を掘り起こしたりもするのですか?

掘るのは法律に触れるんで・・・。地下にあるものを勝手に掘ったりしてはいけないんです。あと、今、問題となっているのが、石碑の破壊や盗難です。僕らからすると考えられないのですが、ものすごく大きい石碑が盗まれたりします。ですので、地元の研究機関や保護管理に関わる部門が、地域の有名なお寺に石碑を移すとか、博物館に持っていくとかして保存しようとしています。石碑が動いてしまうもう一つの理由は、再利用されてしまうことがあります。石碑に書いてあることがもう意味をなさないということで、たとえば床石に使っちゃうとか、井戸の軸を通す支えにしてしまうとか、他の用途に利用されてしまいます。そういう石碑を探しながら、中国各地を回って研究しています。

 

中国のどのあたりを研究しているのでしょうか?

一番多いのは山西省で、あとはその隣の陝西省や甘粛省ですね。こうした乾燥・半乾燥地域です

 

外国人が小さな村の石碑を見ていて、現地の人に「何してるの?」とか言われないですか?

言われます、言われます(笑)。すごく不審がられますよ(笑)。そんな時には正直に「この石碑を見に来ました」と言っています。石碑に書いてある村の名前とかを聞くと、「その村ならあっちだよ」と言って場所を教えてもらったりもしますね。山西省というのは戦争の被害が多かった場所でもあるので、田舎に行って人と話しをすると「自分の爺さんが日本軍に殺されて」というような話を聞くこともありますね。それで別になにかされるわけではありませんし、そう言いながらも親切に対応してくれますけどね。

 

水をめぐって、時には争いが起きることもあるのでしょうか?

はい、あります。水は貴重な資源なので、優先的に使いたい、独占したいと思う人間が現れるんですね。その度に揉め事が起こって、時には規模の大きい争いが起きたりするのですが、そういう時に色々な方法で内輪で裁定したり、役所に届け出て裁判で決めたりしています。問題がもつれる場合、最終的に行きつく場所は中央政府なのですが、中央政府がこうしなさいと裁定を下す場合もあります。そのようにして、みんながとりあえず納得して、それを石碑として残しているのです。

 

資源をめぐっての争いは現代でもありますね。また、21世紀は「水の世紀」とも言われています。

多くの人間がいて、資源が少ししかない場合、どうしても争いが起こってしまいます。そういう争いがどう静められてきたかを考えることは、今の問題にも通じていると思います。「自分が、自分が」と奪い合っている状態をどこかで止めないといけない、じゃあそれを止める方法はなんだろうということを、昔の事例から考えていきたいと思っています。今後は水が不足する地域も増えてくると言われています。水が少なくなって生じる問題にどう対応するか、その地域の人たちは知らないかもしれないけれど、別の地域では知っているかもしれません。特に中国というのは文字の国ですから、田舎でもそういう石碑が残っていたりします。そうした事例を深く読み解き、分析していくことで、他の地域、他の時代にも応用が効くのではないかと思います。

 

歴史を勉強されるようになった、きっかけは?

亡くなった父が歴史好きで、「日本の歴史」のような本が家にあって、子供のころからそれをパラパラと見ていたり、休みのたびにお城を見に行ったりしているうちに興味を持つようになりました。

 

やっぱり三国志とかも読まれたんですか?

はい、読みました。最初は漫画です。横山光輝さんの。読んで、「面白いなー」と思って、それから小説を読んで、中国の文化に興味を持つようになりました。高校1年生の時にどうしても中国に行きたくなって、親に頼みこんで一人でパック旅行に参加しました。確か20万円くらいしたと思うのですが、「そんなに行きたいなら行って来いよ」と両親からなんとか許可をもらいまして・・・。北京から洛陽、西安、成都、南京、上海をぐるっと回りました。行って、商店とかにモノがないのにはびっくりしましたね。ガラスケースはあるけど、モノがない(笑)。その時の衝撃はすごかったですね。万里の長城とか黄河とか長江を見て回って、想像を超える世界でした。実家は福井のちっちゃな盆地にありまして、帰ってきたときは「なんだよ、この狭い世界は」というのが素直な気持ちでした。今から考えると偉そうなんですけど・・・。旅行を許可してくれた両親には今でも感謝しています。うちは大して裕福ではないんですが、「この20万円が、将来は200万円になるのかなぁ」とつぶやいた父親の姿を今でも覚えています。

 

研究発表についてお聞かせください。学会や学術誌で研究をされる時、主に中国語や日本語で発表されるとのことですが、英語で発表されるということもあるのでしょうか?

今回エディテージさんにお世話になったのは、僕自身、初めて英語で発表する機会があったからです。実際にはもっと早くから英語で発表していなきゃいけなかったんですけど・・・。これからはどんどんと英語で発表していきたいと考えています。留学から日本に帰ってきて、京都にある総合地球環境学研究所という研究所のプロジェクトに参加させてもらうことになりました。中国の甘粛省や内モンゴル自治区の川の流域の歴史や、人と環境の関わりを2000年間の軸で考えるというプロジェクトで、歴史学者だけではなく、様々な学問分野の研究者と知り合うようになりました。また、アメリカやヨーロッパ、インドなど、中国語圏以外の場所でも発表の機会が出てきまして、プロジェクトの成果を発表したくても英語ができなくて尻込みしてしまうことが実際にありました。東洋史だけであれば、そんなに英語の必要性を感じなかったのかもしれないのですが、他の分野の方々と関わると、やっぱり英語は必須だと感じますね。

 

英語の勉強をされたりしているのですか?

大したことはしてないですけど・・・(笑)。今までも英語の文献は必要があって読んでいましたが、それ以外にも、英語を聞くようにはしています。最近、ちょっと体がゆるんできまして(笑)、トレーニングとして走っているのですが、その時に英語を聞きながら走ったり、できるだけ多く英語を聞くようにしています。

 

最後に今後の抱負をお聞かせください。

歴史学のためだけに歴史を研究するのではなく、他の分野の方々と一緒に作業する中で、過去の復元が必要になった時、僕のような文字を解析する人間が役に立てると思います。環境というのは様々な学問分野と結びつきやすいテーマなのですが、将来的には、環境学というところで歴史学の意味や意義を訴えていきたいですね。そのためには英語が必要になると思いますし、英語の発表もしていきたいと思います。

 

井黒忍先生のプロフィール:福井県出身。京都大学大学院文学研究科単位取得満期退学。大谷大学助手、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在、早稲田大学高等研究所助教。趣味は旅行、読書、映画鑑賞。

 

 

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