指導教官についての「課題ステートメント」

指導教官についての「課題ステートメント」
2020年05月27日 1.8k ビュー

私は指導教官と対面するとき、いつも不安と恐怖が入り混じった感情に襲われます。その人物はフレンドリーでも協力的でもなく、おまけに、研究活動の一部でしかない「課題ステートメント」に異常に固執するのです。

私は学費を払うために働いているのですが、職場は大学とは別の街にあります。そのため、指導教官と学位論文について話をするときは、街をまたいで移動しなければなりません。これは、私の健康状態と経済状況、国の酷い道路状況を考慮すると、決して容易なことではありません。このような状況のため、仕事中も気の休まることがありません。職場の同僚たちは、博士号を目指すことに伴うプレッシャーを分かってくれません。学術と関係のない職場ではそういうことも珍しくないと、研究室の同僚や教授から聞いてはいましたが、いざ無理解な態度を目の当たりにすると、辛いものです。その上、大学に行ったら行ったで、1学期半をかけて仕上げた課題ステートメントを読んでは批判するだけの指導教官と対面しなければなりません。具体的なフィードバックを求めても、建設的な助言をくれるわけでもなく、格言を持ちだしてピント外れの話を繰り返すばかりなのです。お決まりのその格言は、ハンセン病の治療するために疥癬の治療薬を使うことの無意味さを説くものでした。

私にはその意味するところが分からなかったので、その指導教官を良く知る大学の同僚たちに相談してみました。すると、「指導教官は、指導業務のモチベーションとなるような金銭的なものを求めているに違いない」と言う人が何人かいました。そして、課題ステートメントの問題を早く前に進めるためには、その要求に従うべきだという助言をくれました。しかし私は、一度でもその要求を飲めば、その先も同じようなことが起こると確信していました。また、そのような行動を取ってしまったら、鏡に映る自分の顔を直視できなくなるとも感じました。じっくりと考えた末、この窮地から脱する方法を見つけた私は、笑顔を取り戻しました。

「疥癬の治療薬はハンセン病の治療薬にはなり得ない」とは、私が指導教官の意図する方法で論文を書いていないことを、私に伝えるためのものでした。指導教官は、自分のモチベーションを上げるために、私が苦労して稼いだお金をいくらか手渡すよう求めていたのです。しかし、私は別の「治療薬」を渡すことにしました。それは、課題ステートメントを何度も書き直す努力をすることです。私は、修正したステートメントを指導教官に読ませてはリジェクトされるというプロセスを、5週間以上も繰り返しました。その間、何かを具体的に要求されることはなかったものの、アドバイスをくれるわけでもないその態度は、私にとってただ苛立たしいだけでした。同僚たちが言っていたことが正しかったことが、はっきりと証明されたのです。

この文章を書いている間も、同僚たちの多くは、協力的な指導教官の下で論文をまとめ、学位審査会の準備を着々と進めています。同僚たちは、ときどき連絡をよこして励ましてくれ、それぞれの進捗状況なども教えてくれます。一方の私は、順番待ち学生のリストに入れられたままです(このリストには、審査会の場に立つことを望んでいる学生たちも、次々と入れられています)。私は今でも、もうすぐ審査会の場に立てるという希望を持ちながら、祈っています。疥癬とハンセン病の治療薬は確かに異なるものですが、私は、自分のプライドを守るためにも、このような酷い状況にも堂々と立ち向かっていく覚悟です。

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