念願の南極行きから研究者の道へ

念願の南極行きから研究者の道へ

「うちの研究室にきたら南極に行けるぞ」と言われ、研究室を選んだ。それが、私の研究生活の始まりだった。大学3年生の終わりのことだ。そして、大学4年生から環境化学の研究室に配属され、大気化学、特に窒素酸化物の研究を始めた。当初の計画では、修士2年生のときに南極観測へ行くはずだったが、観測計画が1年ずれ込み、博士課程に進まなければ南極に行けないがどうするかと指導教官に聞かれた。もちろん、博士課程に進みますと答えた。南極に行ける機会を逃してはならないと思ったからだ。


一般的に、理系の学生は修士で卒業して企業に就職することが多い。学部卒では技術職、開発職につくことは難しいからだ。逆に、技術や開発はやりたくないという友人たちは学部卒業後に銀行員になったり、公務員になったりした。問題は、博士の就職先である。私は、「南極に行く」ために博士課程に進んだため、将来のビジョンなんてものはなかった。なので、南極から帰ってきたら退学して就職しようと思っていた。


南極に行くために、ひとつ問題があった。それは、渡航費用は自費であることだ。また、生活費も工面しなければならない。そんなとき、偶然、大学内で研究費と生活費を補助する大学院生向けの補助金制度が始まるという話を聞いた。それを獲得すれば、月20万円の給料と、研究費年間100万円を卒業まで得られる。とにかく、南極に行きたいということだけをアピールし、試験に通過して無事にこのプログラムの1期生となった。


このように、無事にお金の工面をし、博士1年生の12月から4ヶ月間、南極観測を行った。南極では、観測のために快適な基地を離れ、‒10℃の小屋で生活した。それでも、南極での生活は毎日が楽しかった。見渡す限り雪しかない環境だが、よく見るとその表情は豊かだった。なんとなく、心洗われるような生活だった。


さて、南極から帰国し、今度はアメリカ留学の話が持ち上がった。さっさと退学してもよかったのだが、無料でアメリカに行けるという話だったので、帰国してから退学してもいいかと思い、留学した。ここで想定外のことが起こった。アメリカでの研究生活が楽しかったのである。アメリカで所属した研究室、学生やテクニシャンが各分析装置やサンプリングを分担して研究を行っていた。一方、日本では、サンプリング、機器分析、解析まで全部個人で行っていた。しかも、日本で所属した研究室は比較的貧しかったため、装置の修理も自分で行っていた。そんな学生がアメリカの研究室に行ったため、重宝がられ、かわいがってもらえた。また、プライベートと研究室生活をはっきりと分けるアメリカのスタイルも快適だった。アメリカでの生活は自由時間が多く、ゆっくりと自分の行く末について悩み、帰国前には、博士号をとって研究者になろうと決意していた。このとき、博士2年の終わりである。


さて、一般的には、博士号は3年で取得できる。しかしそれは、博士課程の3年間、さらに言えば学部の4年間や修士の2年間を真面目に過ごしてきた学生の話だ。私のように、呪文のように南極、南極と唱えながら帰国後には退学しようと思っていた学生が、卒業要件を満たすような成果をあげているわけがない。幸い、南極観測は真面目に行っていたので、それらをまとめていくつか論文を投稿し、卒業要件を満たすことができた。こんな離れ業ができたのは、偏に指導教官のおかげである。


さて、なんとか博士号取得の見込みはたったが、就職活動の時間は全く無かった。そのため、まずは大学に残ってポスドクをし、半年後に現在の研究所に移った。現在のテーマは南極とも大気とも全く関係のない、水環境の研究である。意外といっては申し訳ないが、ここでの研究生活は快適かつ刺激的である。研究者になるなんて夢にも思わなかったが、人生どうなるかわからないものである。今後の人生がどうなるか、今から楽しみだ。

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