原子力技術者から研究者に

原子力技術者から研究者に

23年以上に渡る私の研究者人生は、少し変わっていました。なぜなら、博士号を取得した後、まずは企業の技術者になり、それから大学教授になったからです。そう、少し遠回りをしたのです!


私は1970年代に日本で原子力工学を学んだ後、当時活気のあった原子力産業界で働きました。多くの原子力発電所を訪れましたが、何トンもの水が入った大型容器に圧倒されたことが強く印象に残っています。このときの経験が、知らず知らずのうちに、後に私の研究対象を変えさせるきっかけとなったのかもしれません。


私は28歳から46歳まで核燃料会社に勤務していましたが、その間、米国の核燃料会社に2年間派遣されていました。そのときに所属していた米国セラミックス学会(サンディエゴ)の関係で、日本のある大学教授と名刺交換をしました。それから10年近くが経った1987年、その方と再会した私は、こう言われたのです。「電子セラミックスの教授として、うちの大学で働きませんか?」


これは思いもかけない幸運でした。というのも、私はちょうどその頃、ローカルエネルギーを生成するための新素材の開発に強い興味を抱くようになっていたからです。打診されたのは、新設された材料科学・材料工学部の一員になることでした。このようなチャンスを逃す手はありません!偶然にもその学部は、電子工学とセラミック工学という、私がまさに追究したいと思っていたものに注目していたからです。私は早速その大学で、送電線を必要としない、環境に優しいローカルエネルギー資源の開発に向けた研究を始めました。専門の技術者として、送電線を必要としないローカルエネルギー資源としての役割も果たす、燃料電池を開発するための材料科学の研究に着手したのです。


その大学には定年まで勤めましたが、退官の3年前に研究テーマを変え、水の研究を始めました。その頃には、原子力工学の分野で働き始めてからおよそ30年が経っていましたが、ある大きな出来事が、私をその分野に引き戻しました。201157日、私は福島を訪れ、開発した水で汚染土の処理を試みました。その結果、水道水と比べて、放射線が大幅に減少することが分かったのです。結果を確認するために、その実験を何度も繰り返しました。これらの結果は、20132019年に出版された学術誌で発表しました。


2018年、食物を長く新鮮に保つための水の役割への理解を広める目的で、米国カンザス州の有名企業を訪れました。基本的な化学物理学の観点から水を研究することは、非常にエキサイティングでした。水の研究は今も続けていますが、残念ながら、現在はどこの大学にも研究機関にも所属していません。水に関する私の研究は、ありがたいことに、特別な機器や設備を必要としません。退官してからも、年に一度は国際誌への論文投稿を続けています。水研究への信念が、研究という素晴らしい道へと導き続けてくれているのです。


私のたどった道は、博士号を取得して技術者として働き始め、その後大学に勤務するという一風変わったものでしたが、そのような経歴は、私が根っからの研究者だということを表しているように思われます。研究者としてやっていくための資質は、好奇心を持ち、身の回りの可能性に先入観を持たずにいることではないでしょうか。自分にそのような資質があったからこそ、私は、当初とは違う分野でも研究を進めることができたのかもしれません。根っからの研究者でいるということは、分野に貢献し続け、自分の業績を現在の知識体系に加え続けられるということなのです。

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