ブラックライトと星明かりと不眠の日々

ブラックライトと星明かりと不眠の日々

フィールド調査。何とロマンチックで刺激的な響きでしょうか。大学時代に、生物学の一般科目としてチャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」について学びました。ガラパゴス諸島への訪問、カメやフィンチの詳細なコレクションと観察記録、独自の適応を遂げた野生生物――これらが種の起源を考える上で大きな影響を及ぼしたことを知ったのはこのときです。後に発表された『種の起源』で、自然淘汰の画期的理論が進化生物学の分野に革命をもたらしたことは有名です。ダーウィンとほぼ同時期、アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、南米の熱帯雨林を駆け抜け、マレー諸島で無数の鳥、甲虫、蝶などの動植物を採集し、バリ島とロンボク島の間でアジアとオーストラリアの動物相を隔てている「ウォレス線」を発見しました。ウォレスもまたダーウィンと同じ結論に達し、自然淘汰による進化に関する論文を1858年に共同で発表しました。これらの画期的な業績に魅了され、私は自分の冒険に乗り出すことを決めたのです。


チャンスが訪れたのは大学3年生のときでした。ニューヨーク州立大学フレドニア校の植物学教授だったKenneth Mantai博士が、秋学期に熱帯生物学のフィールド生物学コースを開設し、1月の学期休み中にコスタリカへの19日間の調査旅行が実施されることになりました。旅行費用を用意するため、その前年は夏の間中3つの仕事を掛け持ちしました。早朝は母校の高校で掃除夫として働き、午後はサッカーの審判員をし、夜はレストランで後片付けをしました。夜は数時間しか寝られませんでしたが、秋に授業が始まると、何とかコースに登録し、その後の人生を変えることになる旅の費用を支払うことができました。


調査旅行で最初に訪れたのは、大西洋岸の低地熱帯雨林の奥深くにある、カナダが運営するフィールドステーション「カノパルマ生物研究ステーション」です。ここは、ボートで4時間かけて行くしか方法のない、トルトゥゲーロ村の近くにありました。ステーションは、黒い水が流れる運河沿いにありました。水はとてもきれいでしたが、熱帯雨林の葉から浸出したタンニンで黒く見えるのです。そこはカリブ海沿岸からたった100メートルで、西半球屈指のアオウミガメの営巣地だったため、新進の生物学者にとってはまさに楽園でした。私は熱帯雨林にすっかり恋をし、生態学者になることを夢見るようになりました。


翌年の夏には、生物学者の母と一緒に、コスタリカで別の熱帯生態学コースに参加しました。その後、4年生の最終学期に5か月間インターンとしてカノパルマ生物研究ステーションに戻り、生物学者になるという夢を叶えることになります。このときは熱帯スズメガの生物多様性の特徴について調べました。ガは夜行性なので、夜更かしする必要がありましたが、日中は暑くて湿度も高いので眠れません。さらに、ステーションを支援するための寄付金を募るために、ツアー団体を熱帯雨林に案内しなければなりませんでした。それ以外の時間は趣味のガの採集のために起きていたので、5か月間まったく寝なかったかもしれません!出発の直前に誰かが私に「熱帯雨林へ行く準備はできているか?」と尋ねたとき、それを見ていたMantai博士は、私が準備万端であることを知っていたので、「熱帯雨林の方はジェイクを受け入れる準備ができているかな?」とジョークを言っていました。


フィールド調査は苛酷で、研究の許可を得るのも簡単ではありません。コスタリカでは、スペイン語でコスタリカ環境エネルギー省(MINAE)に提案書を提出する必要がありました。私はガのコレクションを2つ作成しました。1つはコスタリカ大学に寄付するためのバウチャーコレクションで、もう1つは博物館に寄付したすべての種の標本5点を輸出する許可を得て持ち帰るためのものです。ある夜、私は現地で「山」と呼ばれているある死火山に登る必要がありました。この火山は高さわずか80 mでしたが、それでも困難な登山でした。なぜなら、紫外線「ブラックライト」、蛾を引き寄せるための白いシート(ガは星明かりで誘導され、紫外線に引き寄せられます)、テント、バックパック、ホンダの発電機、「ブラックライト」の機材に電力を供給するための4リットルの燃料を運ぶ必要があったからです。蚊がウヨウヨいて、テントの中ではサシハリアリと格闘しなければなりませんでした。このアリは、弾丸が当たったような衝撃を与える強力な針を持つ、体長3 cmの巨大アリです。


好きなことをしていると、データ収集に没頭するあまり、ちょっとした不便や睡眠不足は忘れ、長い時間があっという間に過ぎてしまいます。翌年には修士課程でカノパルマに戻り、スズメガの生物多様性に関する一連の調査を終えて、修士論文を書くために家に帰りました。


博士課程で行なった化学生態学のフィールド調査は、また違った世界でした。化学生態学とは、フェロモンとカイロモンを使って動物がどのように交信しているのかを研究する学問です。これらは動物が放出している揮発性化学物質で、空中を伝わって同じ種の仲間に到達します。最初のフィールド調査に出る前の5年間は、ニューヨーク州シラキュースにあるニューヨーク州立大学環境科学林学校で研究室での作業に集中しなければなりませんでした。このときの主な研究対象は、ツヤハダゴマダラカミキリでした。これは中国から米国に持ち込まれた外来種で、幼虫が木を掘ることで多くの樹種を殺します。当時は、森林消防パラシュート降下隊員を雇って木に登ってもらい、樹冠近くの穴や、雌のカブトムシが卵を産み付けた痕の幹を調べるしか調査方法がありませんでした。目指していたのは、調査とモニターのためのトラップ(罠)に使えるカブトムシのフェロモンを特定することでした。このときの私は、フィールド調査員どころか「実験室のネズミ」でした。
 

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フィールド調査では、フェロモンの威力をテストするために中国の寧夏に行きました。結論から言うと、自分が特定し、合成し、慎重に処方したフェロモン化合物の作用を正しく特徴付けられた決定的な証拠を確認して収集できたので、研究がこの段階まで来たことに率直な充足感を得て、安堵のため息をついたことを覚えています。フィールド調査は神経をすり減らします。このプロジェクトに5年を費やし、地球の半分を旅しましたが、それでもプロジェクトが成功するかどうかは分かりません。私の博士号は、その結果次第でした。
 

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広西チワン族自治区にて


海外生活では、文化や言語の違いを経験しました。中国では夏を3回過ごしましたが、その間に、すべての作業を論文にまとめ上げるのに十分な数のカブトムシを集めました。米国国立科学財団(NSF)から2つの助成金を受け取り、博士号を無事取得した後は、中国の北京でNSFの国際研究フェローシッププログラムを開始しました。これは2年間の予定でしたが、最終的に北京に12年滞在することになり、その間に結婚しました。現在11歳になる息子もいます。12年の間には、雲南省、広西チワン族自治区、黒竜江省、安徽省などでフィールド調査プロジェクトを実施し、東南アジアの修士課程や博士課程の学生たちに指導を行いました。


フィールド調査の苛酷さは昔と変わりませんが、別の意味での大変さが加わりました。それは、経験を積んだ研究者、ジャーナル編集者、夫、父として、現場に出る時間を作りつつ、家族と一緒に過ごせるワークライフバランスを見つけることです。この難題に取り組むために試みたのが、息子を一緒に連れて行くことです。息子は、中国と東南アジア中のカブトムシを捕まえるお手伝いをしながら育っています!
 

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息子のMisha。アンコールワットにて

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