中国の出版慣行に影響を与えている社会文化的要因
Tumor Biology誌による中国人著者の論文107本の大量撤回劇は、学術界の文化、学術誌が掲げる基準、研究者が抱える苦難やプレッシャーなど、学術出版にまつわるさまざまな議論を巻き起こしました。同時に、学術界でたびたび議論の的となる「中国人研究者の公正性」に関する疑念を再び浮かび上がらせました。これまでにもさまざまな国の研究者が学術不正行為を行なっていますが、その件数がもっとも多いのは中国でしょう。
中国は急速に発展を遂げており、科学技術の分野でも世界をリードする立場に立とうとしています。論文出版数や研究助成においては、米国に次ぐ実績を残しています。最近の研究で、中国は国際共同研究による論文出版数で世界3位であることも分かっています。これらの指標は、国の成長度合い、グローバル化への意識、研究の質の高さを示すものでしょう。一方で、査読詐欺や研究不正などの度重なるスキャンダルが、国の発展の足を引っ張っています。これらの不正が先述の大量撤回に繋がったと思われますが、米国の報道機関Quartzは、2012~2016年に査読不正によって撤回された論文の50%以上に中国が関与していると伝えています。このような規模での非倫理的な出版行為は、国の科学技術に損失を与え、信頼を失墜させてしまう恐れがあります。
このような事態を避けるためには、問題の根本を理解する必要があります。経済成長における科学技術の重要性を認識した1977年、中国政府は、科学技術研究への大規模投資を開始しました。予算の増加に伴って研究の裾野が広がり、多くの人材が学術界に集まるようになりました。結果として、研究のアウトプットが増加し、中国は科学技術大国としての歩みを始めました。しかし、出版慣行に関する規制の不足と、西洋とは完全に異なるきわめて競争的な学術文化が相まって、中国の研究者たちは研究不正に手を染めるようになりました。
中国では、学術的な成果は個人の価値と捉えられているため、研究のアウトプットに不均衡が生じてしまいます。研究者は、昇進・昇給・就職のために一流誌での論文出版を常に要求されます。研究者のみならず、医師もインパクトファクターの高いジャーナルでの論文出版を求められます。中国の医師の40%近くが、過度なプレッシャーによって不正を働く可能性があるとの調査結果も出ているほどです。科学技術の世界をリードするための競争が、競争的で不健全な学術文化を生んでしまっているのです。
中国の多くの機関が、職員に対して国際誌やインパクトファクターの高い査読付きジャーナルでの論文出版を奨励しており、その中には金銭的インセンティブが伴うケースもあります。Nature誌による最近の記事では、四川農業大学が、Cell誌に論文が掲載された研究者に1350万元(200万米ドル)の賞金を与えたことが紹介されています。国中に蔓延しているこのようなシステムは、良質な研究を適切なジャーナルで発表することよりも、インパクトファクターの高いジャーナルで発表することを研究者たちに強いることになります。
もう1つ重要な要素として挙げられるのが、中国独自の文化規範による影響です。中国では、年配の人や地位の高い人を敬うことが良しとされています。そのため、学術界でも、研究不正を行なっている年長の研究者や、非倫理的な行為を強いる指導者に対して、若手研究者が声を上げるのは難しいかもしれません。たとえば、立場が上の研究者から、画像の改ざんと引き換えに論文著者としての資格を提示された場合、若手研究者はそれに従わざるを得ないでしょう。
もう1点考慮すべき社会文化的な側面は、コンテンツのコピーや借用が、中国では学習方法の1つとして認められているということです。極端な場合、コピーは、元の著者への敬意と捉えられます。また、すべての中国人研究者が英語を流暢に扱えるわけではないため、出版済みの論文を、盗用の意識がないまま、帰属を適切に示すこともなく、そのままコピーしてしまう傾向にあります。西洋ではこのような行為は非倫理的であると見なされているため、中国人研究者が国際誌で同様の行いをすると、リジェクトや撤回につながってしまいます。
中国政府は、増加し続ける学術不正が国の信頼を下げ、発展を阻害しているとして、防止策を講じ始めています。Tumor Biology誌による大量撤回のニュースを受けた政府は、この一件が「中国の科学研究への国際的信頼と中国人研究者の尊厳に多大な傷を付けた」として、研究不正を一切容認しない方針を掲げています。研究者が非倫理的な出版ルートを選択することを阻止するため、政府や研究機関が何らかの懲罰を設けているケースもあります。中国科学技術協会(CAST)は、中国のすべての研究者に対して、「学術不正を自制し、断固として拒否すること」を求めています。
科学コミュニティは、信頼のもとに成り立っています。編集者は査読者を慎重に選定しているという信頼。査読者は細心の注意を払って論文を審査しているという信頼。そして何より、研究者は誠実に研究・出版を行なっているという信頼を前提にして、学術界は成り立っています。学術界には莫大な資金と労力が費やされているため、1件の研究不正が、その分野全体を揺るがすことになります。発展可能な文化を構築するためには、適切な出版慣行を守ることの大切さを研究者に説いていくことが重要でしょう。
関連記事:An update on China's investigation into the 107 retracted papers
View Comments