「犬の毛」は体に悪い?――科学への一般社会の理解とオープンアクセスの効用

「犬の毛」は体に悪い?――科学への一般社会の理解とオープンアクセスの効用

「犬の毛はがんを引き起こす」。これは、私の知人がハウスキーピングの仕事の依頼を断られた理由です。犬を飼っていることを伝えたら、こう言って断られたのだそうです。知人はこれまでも、自分のペットに怯える人を何度も見てきましたが、この新たな恐怖の種については、どのように対処すべきか見当もつかなかったようです。


ペットにまつわるヒトへの健康被害について専門家が取り上げるテーマと言えば、アレルギーや何らかの人畜共通感染症などです。私は少なくとも、この記事の冒頭の話を聞くまでは、ペットがもたらすがんが懸念されているとは知る由もありませんでした。仕事を断った女性は、職を得る機会を手放すほどに、この情報を普遍的な事実として鵜呑みにしていたのです。


科学の専門知識を持たないこの女性は、どのような経緯でこのような話を信じ込むようになったのでしょうか。この一件については推測することしかできません。ところが、グーグルで「does dog hair…(犬の毛は…)」と検索したところ、予測候補のトップに表示されたのは「cause cancer(がんを引き起こす)」だったのです。
 


驚くべきことに、この情報は明らかに多くの人から検索されていました。情報の端緒となったものが、必ずどこかに存在しているはずです(検索予測機能がトップに表示し続ける限り、この情報はトップに留まり続けます。この情報を検索するつもりのなかった人も興味本位で見た結果、「犬の毛ががんを引き起こす」という恐ろしい考えを持ってしまうかもしれません)。


科学に対する一般社会の理解を形作る要素についての研究は、興味深く重要な分野です。しかし、この記事でフォーカスしたいのは、そこではありません。「犬の毛はがんを引き起こす」という主張をインターネットで調べてみると、このテーマに関連した原著論文がいくつか見つかりました。そのうちの一部は有料でしたが、人と動物の近接性とがんとの関係に関する論文で、無料公開されているものも複数ありました。私はこのことをきっかけに、一般社会へのオープンアクセスの重要性について考えるようになりました。


無料公開されている情報だけを見ても、「この主張に関する具体的かつ決定的なエビデンスはない」ということを理解するのに十分でした。多くの人がこのテーマを検索している事実を考慮すれば、これは重要なことです。そしてこれは、一般の人々が情報を求める数多くの科学的テーマの1つに過ぎないのです。したがって、オープンアクセスには、一般社会に対して非常に大きな潜在的メリットがあると言え、これこそがオープンアクセスが支持される根拠なのです。


一般の人が原著論文に自由にアクセスできたとしても、専門性が高すぎて理解や解釈ができないと考える人もいるでしょう。この点について、ある記事では次のように述べられています:


「研究が一般社会に還元されるべきだという考えは、一見聞こえが良いが、このような論文はきわめて専門的で、対象範囲が狭く、専門教育を受けていない者にとっては往々にして無用なものである」。


この考え方の対極にあるのが、「論文を探す能力、理解する能力のレベルに関わらず、一般の人々がそれらにアクセスできることで、科学への一般社会の理解度を高められる」というものです。この考え方について、英国の庶民院(House of Commons)の報告書には次のように書かれています:


「科学誌の論文を誰が読むべきで誰が読むべきでないかを決めるのは、出版社でも研究者でもない。我々は、一般社会の間で科学研究への関心が高まっていることに勇気づけられている。科学への一般の人々の理解度を高めることは、社会の利益につながる。出版社も研究者も政府も、一般社会の科学研究へのアクセシビリティの向上に努めなければならない」。


私は、科学への一般の人々の理解にオープンアクセスが直接的な影響力を持つことを示すエビデンスが存在するかどうかを調べました。しかし、現状ではエビデンスはほとんどありませんでした。この方向性での研究は小規模なもので、たとえばフォーカスグループ・セッションを組み込んだ研究では、学術界の外部にいる個人は、オープンアクセスが一般の人々に恩恵をもたらすと考えている場合が多いことが示唆されています。または、ウィキペディアのようなプラットフォームを通したオープンアクセス研究の拡散といった、間接的なポジティブ効果について報告している研究もありますが、直接的な影響を詳細に調査した研究は多くありませんでした。


決定的なエビデンスは必要なのでしょうか?一次研究論文へのアクセスが、科学情報への総合的な理解を妨げるよりも促す可能性が高いという合理的な推定だけでは、不十分なのでしょうか?私は、これらの質問に対する答えは、両方とも「はい」だと考えています。


では、オープンサイエンスの幅広い影響についてのエビデンスは、なぜ必要なのでしょうか。オープンアクセスが登場してから、一定の期間(約20年)が経過しています。このことだけでも、エビデンスを得る、もしくは求めるのに十分な理由になるでしょう。さらに、この間には助成団体がプランSなどのイニシアティブを導入することによってオープンアクセスを義務化するなど、オープンアクセス関連の環境整備が進んでいます。オープンアクセスが科学への一般社会の理解にポジティブな影響を与えることの証左があれば、少なくとも、保健医学などの研究分野において、オープンアクセスの義務化に関する提案や方針に大きな影響を与えることができるはずです。また、政策立案者にとっては、論文をオープンアクセスで出版させるための効果的な方法を考える助けになるかもしれません。義務化が実現されなくても、エビデンスさえあれば、論文のテーマが一般社会との関連性が高いほど、研究者たちはオープンアクセスでの発表を選びやすくなるでしょう。


さらに重要なのは、パブリックエンゲージメントや教育に関連する政策立案にも役立つ点です。一般社会による科学への理解度や研究成果へのアクセシビリティを高めることは、単に原著論文に無料でアクセスできるということ以上の価値があります。科学コミュニティは、研究をより幅広い層に届けるためのさまざまな措置をすでに講じています(研究論文の一般語訳の公開など)。しかし、このような取り組みは全体に行き渡っているわけではなく、一般社会の関心が高いテーマのすべての研究で一般語訳(レイサマリー)や専門用語を使わない情報が提供されているわけではありません。もしそうであれば、オープンアクセスが一般社会にもたらす恩恵について議論する必要もないでしょう。


分野を問わず、科学に関する根拠のない話がいつ生まれていつ拡散されるのかは予測できず、それらが大小の判断に影響を及ぼすことが懸念されています。また、偽科学情報やフェイクニュースが社会に悪影響を与える危険性についての認識が高まってきています。したがって、情報が歪められることなく、研究者から一般の人々へ直接届けられることがきわめて重要なのです。オープンアクセスが情報の直接伝達に役立つという確かなエビデンスがあれば、科学コミュニティをはじめとする利害関係者は、ほかに信頼できる情報やより包括的なソースがない場合に科学情報を検証するために研究論文にアクセスすることについて、一般の人々を教育することに注力できるでしょう。


オープンアクセスに関する議論では、学術コミュニティ内(研究者、出版社、その他利害関係者)への影響に注目する傾向があります。したがって、オープンアクセスの影響に関する研究も、内向きのものになりがちです。しかし、オープンアクセスがさらに幅広くポジティブな影響を与える可能性を信じるのであれば、とくに一般社会を動かす力を秘めていることを信じるのであれば、それを証明するために体系的な検討を始めなければなりません。


将来的には、ペットや人間の健康に関する論文をオープンアクセスで公開することの必要性が、エビデンスによって裏付けられるようになるでしょう。このような義務化は、「犬ががんを引き起こす」ことに脅える人々をこれ以上増やさないためにも、必要なことなのです。

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