専門家の発言が無難で保守的になりがちなワケ 〜研究者の思考さくご (3)

専門家の発言が無難で保守的になりがちなワケ

皆さんはテレビなどでコメンテーターとして話している専門家の意見を聞いて、「聞いたことあることばかりだな」「結局よくわからないな」などと感じたことはありませんか? 連載「研究者の思考さくご」第3回は、「専門家の発言が無難で保守的になりがちなワケ」をテーマに、専門家の発言はなぜ無難なものになってしまうのか、その背景や「突っ込んで話せる人」のことを、国立情報学研究所の宇野毅明(うの・たけあき)先生が考えます。

宇野 毅明
国立情報学研究所(NII) 情報学プリンシプル研究系 教授

アルゴリズム理論、特に列挙・データマイニング・最適化の研究が専門。コンピュータ科学の実社会における最適化に関心を持ち、自治体、企業、多分野の研究者との様々なコラボレーションを行っている。東京・神田にあるサテライト研究ラボ、「神田ラボ」を主催。情報学だけでなく文学、哲学、歴史学など人文社会学系を含めた国内外の研究者が集まり、日々、技術と社会の狭間で起きる現象について議論を重ねている。議論における俯瞰力と問題設定力を鍛える道場、「未来研究トーク」共同主催者。

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私くらいの年になると、知り合いがテレビにぼちぼち出て、何やら見解を述べることが多くなるのですが、それを見て「堅いなあ」と感じることがままあります。また、「なにか普段と違うなあ」、「いつも言っていることと違うなあ」などと感じることもあります。例えば最近話題の「ChatGPT」に関しても多くの専門家が意見を述べていますが、「レポート提出やフェイクニュースなど悪用の危険があります」「●●に使うのには気を付けましょう」「将来はもっといろんなことができます」のように、どこでも同じような見解、非常に無難というか、保守的な見解が多いように感じます(とはいえ、どんどん煽ったほうがいいとか、そういうことを言っているわけではありません)。

自分の立場、あるいは自分の知り合いを考えても、もっといろいろなことを知っていますし、お互いに会話するときには、もっと本質的なことを言います。それなのに、テレビや新聞の取材となると専門家の発言はどうして無難になってしまいがちなのでしょうか? この原因として「間違えたことを言ってはいけないプレッシャーがあるから」というのがあると言われていますが、テレビなどでは「不正解かもしれないこと」、「外れる可能性のある予想」を仮説として言う人も多いですし、「違うかもしれませんが」、「諸説ありますが」などとひと言断りを入れた後で「私はこうかなと思います」と言えばいいだけなので、これは本質ではなさそうです。

そこで、「なんのプレッシャーが発言を無難にさせるのか」と考えるために、自分の場合に置き換えて考えると、「自分の周りの人の目」なのではないかと思えます。何かの専門分野のことについて取材を受けるときは、その分野の人としての意見を求められるわけで、つまりは分野の代表のような立場で話をすることになります。そうすると、うかつなことは言えません。周りの人たちと違うことを言ってしまうと、怒られそうな気がするのです(本当に怒られるのかは知りませんが)。つまり、「業界・分野を代表してものを言うときには、みんなが言うようなことを言わなければいけない」という気持ちになるということです。

そうなると「みんながどう思うかわからないこと」は発言できなくなるので、「可能性は低いけれど夢のある話」や「”こういうこともある”と世界を広げるような発言」はできなくなります。反対意見が出ないような、みんなが知っているようなもの、当たり前に導けるようなことしか言えなくなるのです。なるほど、だからみんな「●●の危険があります」とか「●●に使うときは注意しましょう」とか判で押したように同じようなことしか言わないんでしょうね。こうしたことは科学コミュニケーションの場でもあるのではないかと思います。「科学的である」ためには、みんながそれぞれ違うことは言えないですからね。

一方で筆者はというと、自分の専門とするアルゴリズム理論に関しては、社会から遠い位置にあるので、こういう悩みを持つことはあまりありません。社会にとても近い研究としては、自治体や企業と共同で「婚活サイトの推薦アルゴリズム」研究(ユーザのデータから良さそうなお相手を見つけ出すアルゴリズムを開発する研究)を行なっていますが、その関連で婚活について意見を求められた時に、特に周りの目を気にしたことはありません。しかし、よく考えると筆者はそもそも「婚活」という中心的なテーマに関する専門家ではないので、そういう意味で「自分の周りの人の目」を気にする意識がないのかもしれませんね。逆に言えば、他人の分野の事なので、そういったプレッシャーがないのは、「アルゴリズム理論の視点から婚活を語る」という珍しい立場でものを言うにはとてもありがたいです(笑)。

筆者は情報学系研究者として、研究で社会現象を扱うことが多いため、メディアからChatGPTなどの情報技術について取材されることもありますが、やっぱり話しやすいですし、書きやすいです。なぜなら、ChatGPTなどの技術の基礎となる言語モデルや深層学習などの自然言語処理の技術についてそこそこ知ってはいますが、自然言語処理の研究者ではないからです。つまり、筆者のような「となりの分野の研究者」のほうが、技術が社会に与える影響などを「より突っ込んで」話すことができるのではないかと思うのです。

そのようなわけで、この連載「研究者の思考さくご」でも、ChatGPTなどの最新の情報技術についても、おそらくいろいろと言いにくい自然言語処理研究者の皆様に代わって、筆者が変った視点を提供いきたいと思います。ビジネスや研究に即つながるものではないけれど、ちょっと頭に刺激がもらえるようなものが書けたらな、と思っています。

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この記事を書いた人

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