19世紀から20世紀へ、恐慌と大戦の時代に経済学者は何を見たのか?:笠井高人(かさい・たかと)さんメールインタビュー

20世紀イギリス労働者教育とカール・ポランニー

カール・ポランニーという経済学者を知っていますか? 1886年に当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国に生まれ、帝国主義から第1次・第2次世界大戦の時代を生きたポランニーは、2度の大戦や世界恐慌(1929年)の原因を当時急速に拡大していた市場経済に求めました。経済の拡大は必ずしも良いこととは言えないのではないか? 経済に関する決断を個々人の自由に委ねる自由主義経済は、却って経済を不安定にし、経済成長の恩恵にあずかれた人とそうでなかった人の間に格差を広げるものではないか? ポランニーの見た当時の世界は、景気は良いはずと言われながらも格差が広がり、将来に不安を抱える人も少なくない現代日本の姿と何処か重なります。

1930年代、ヒトラーが政権を握ったオーストリアを離れてイギリス、ロンドンへ亡命することとなったポランニーは、オックスフォード大学やロンドン大学が成人向けに主催した公開講座組織「労働者教育協会」で国際関係や社会経済史の講師となりました。この時に社会経済史と出会ったことが、20世紀初頭の市場経済の起源を19世紀の国際社会の在り方に、更には19世紀の国際社会の起源を自己調整的市場に求めた主著『大転換』に繋がることになります。

2017年度第2回基礎研究グラント奨励賞を受賞された笠井高人(かさい・たかと)さんは、カール・ポランニーのロンドン時代の講義や知的交流を調査されています。著書や講演の記録などから一人の思想家の活動や思想の変遷を蘇らせる、文献研究についてお話を伺いました。

参考:笠井高人『カール・ポランニーの社会経済思想と「複合社会」像』

ご研究について

Q1. ご研究の内容について、一般の方向けに簡単にご紹介ください。

経済学の歴史について研究しています。経済学を用いて過去の人間行動を分析する経済史としばしば誤解されますが、経済学の歴史は、経済学という学問のそのものの発展過程や変遷を取り扱い、一般的には経済学(説)史や経済思想と呼ばれます。たとえば、需要曲線や均衡価格といった概念がいつ・どのように生まれ、それらが後の諸理論にどのような影響を与えたかを議論します。

そのなかでも、私はカール・ポランニーという20世紀の思想家を対象にして、経済学の新しいあり方を探っています。価格と数量とをシグナルとして物財の取引を行う交換だけに経済学の分析対象を絞るのではなく、ギブアンドテイクの贈り物を表す互酬や獲得物を集団のメンバーで分ける再分配などにも広げることを彼は提唱しました。残念ながら、彼の考えは現在の経済学理論には残っていません。しかし、そのことが彼の思想を軽視する理由にはなりません。むしろ、看過されているからこそ、彼の理論や思想の形成過程を紐解くことで、福祉の充実など今日的課題にアプローチできる経済学が見えてくるのだと考えています。

Q2. このテーマを選んだきっかけ、この研究を始めようと考えた理由を教えてください。

2008年秋のリーマンショックをきっかけに、それまで大学で学んできた経済学の分析視角への違和感を言語化できるようになったことで、今のテーマに興味を持ち始めました。当時、私は大学4年生で就職活動を終えていましたが、中には苦戦している友人もおり、秋の経済危機以降、彼らは絶望感を滲ませ、人によっては行方を暗ませてしまいました。それまで好景気で売り手市場であったにもかかわらず、ある時点を境に社会が急変し、不況という自分たちではどうしようもない圧力で進路が制約されることを目の当たりにし、経済危機をまさに体験したことが、経済社会への関心を強くさせました。

すぐに、本やテレビでは様々な論者が危機の原因を「アメリカの低所得者層向け住宅ローンを証券化し・・・」と理論的には正しいであろう解説をしていましたが、そのどれもが私にとってはしっくりこず、言葉にできない違和感・居心地の悪さを残すものでした。また、危機の仕組みを事後的にしか説明できない経済学に対しても、本来的には危機を未然に防ぐことが必要なのではないのかという(青臭い)疑問も同時に持ち始めました。

そんな時に、交換以外の経済活動も取り扱い、むしろ交換でない経済こそが人間活動の中心だという議論を展開しているポランニーの『大転換』に触れたことで、今のテーマが浮上します。彼の考えはオーソドックスな経済理論とは異なっていますが、私がそれまで学んできた有用な経済理論に対する漠然とした居心地の悪さを明確化された気がしました。ある程度経済学の思考様式に馴染んでいたからこそ、オーソドックスな経済学の基礎概念に修正を迫る彼の議論によって、まさに目から鱗が落ちました。そこから経済分析や社会認識の多様性について興味が湧き、現在の研究テーマを設定するに至ります。

Q3. このテーマのユニークなところ、面白いところなどPRポイントを教えてください。

経済学史の研究全般に言えることですが、データや数式をあまり使わず、著書や手紙・講演などから思想に接近するという分析手法をとることは、経済学分野においては珍しいかもしれませんし、また経済学理論に残っていない人物の主張を取り上げて、経済学の歴史に位置づけようとすることは少し妙に感じられるかもしれません。ただ、経済学自身が富の原因や貧困、格差、成長などと様々なテーマを時代と共に変えてきたので、良し悪しは別として、あらゆる社会現象が経済学の守備範囲になりうるという視座を提供できるように思えます。

私は20世紀の人物を対象としているので、研究を進めることで、戦間期の知識人が世界を股にかけて活躍した当時の状況も付随的に見えてきます。ポランニーは、オーストリア・ハンガリー二重帝国に生まれ、そこでジャーナリストとして一定期間活躍しますが、その後イギリスへ亡命し、さらにはアメリカへ向かうも入国が叶わず、カナダに住居を構えたので、彼がどこの国の人物かと問われれば答えに窮します。オーストリア・ハンガリー二重帝国という出生の段階で既に国家というものが曖昧です。けれども、彼の著作から多少でも民族性や、当時住んでいた地域からの影響が垣間見えてくるので、人物の思想と共に、特定の時代のとある地域の匂いが感じられるのが面白いです。

また、彼はイギリスにいた時には夜間学校のような労働者教育を担っており、そこでの講義内容や受講生等の情報も残っているので、人々の生活の実態が見えてくるのも魅力の一つです。(この辺りは経済史に近いかもしれません。)年度によって履修者が増減したり、出席者が少なかったりするのはいつの時代も同じのようです。

Q4. この研究の難しいところ、特にご苦労されていることを教えてください。

文系の研究全般に言えることだと思いますが、応募できる研究費が理系に比べて圧倒的に少ないことです。とくに、昔の文献を取り扱って特定の人物の思想を解明するような(ド文系の)研究は、あまりお金が必要でないと思われているのも原因かと思いますが、競争的資金の応募対象でないことが多いです。たしかに何千万円もする大型の機械などは必要ありませんけれども、新しい資料を見つけるための渡航費などは必要になります。意外かもしれませんが、資料そのものがまだ見つかっていないことや見つかっていても整理されていないこともよくある(というより、この状況が普通‼)ので、わざわざ資料を所蔵する図書館などに出向かなければいけないために、研究費が要ることを説明するのに苦労しました。そのため、今回のエディテージ研究費も「どうせ理系が採択されるのだろうなぁ」とダメもとで出しましたが、運よく面接の機会に恵まれ、研究の意義を理解していただいたことが本当に嬉しかったです。

また、分野の知名度があまり高くないことも課題でした。しかも私が取り扱うのは、中学校の教科書に出てくるアダム・スミスなどとは違ってあまりみんなよく知らない人物であるため、自身の研究の以前に、まずは経済学史・経済思想という分野を理解してもらい、興味を持ってもらうことに力点を置いています。「経済学の歴史って何?」という状況から出発するので、経済学と哲学の間という安直な説明もたまにしますが、その2つがどうも結びつかないという反応が多いため(たしかに歴史なのか経済学なのか哲学なのか・・・)、少しでもこの分野が認知されればと思っています。

Q5. 採択決定後、研究は開始されましたか?

まだ開始していない

Q6. 英語論文の投稿や、国際学会での発表のご予定はありますか?

論文を投稿する予定

あなたご自身について

Q7. 研究者になりたいと最初に思ったのはいつでしたか?

大学(学士)

Q8. 研究者になりたいと思ったきっかけを教えてください。

民間企業での業務にあまり身が入らなかったことです。学生時代は単純に大学での学びが楽しかったので、大学院に進んで研究をしたいなぁとぼんやりと思っていましたが、さすがに研究者になるにはモチベーションがそれだけでは厳しいだろうと勝手に想像して悩んでいるうちに就職が決まったため、とりあえず民間企業に勤めました。けれども、仕事内容にさほど面白みを感じられなかったので、挫折してもいいからやりたいことをしようと思い、研究者を目指すために退職して大学院に進みました。

Q9. ご自身の研究者としての「強み」は何だと思いますか? また研究者としての弱みはありますか?

興味関心の幅が広いことは強みになると思います。核となる専門をもとに、広い視野で物事を見る力が養えるのではないでしょうか。一方、考えが発散しやすいので、論文としてまとまらないことも多々あります。

最後に

Q11. エディテージ・エッジWebサイトをご覧になる若手研究者、研究者を目指す学生さんへメッセージをお願いします。

私自身まだまだ若手のつもりなので、あまり大それたことは言えませんが、とりあえず自身を信じて研究を少しずつ進めるしかないと思います。まわりに何を言われても動じないある種の鈍感さも研究者には必要だと思います。

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この記事を書いた人

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