13年前にエディテージを初めてご利用いただいた川崎市立川崎病院 麻酔科・集中治療部の出野智史先生に、8年ぶりにお話を伺いました。前回のインタビューから8年を経て、出野先生は「漢方の病態を現代医学の言葉に翻訳したい」という思いを持ちながらも、研究の論文化に苦労され、一度は研究を中断して臨床の現場に戻りました。その後、思いがけないきっかけから、このたび『麻酔科医が切り拓く周術期漢方の可能性』(2026年、克誠堂出版)を出版されました。今回は、研究の中断を経て書籍化に至った背景や、臨床現場で見えてきた周術期漢方の可能性、そしてこの分野を次につなげていくための思いについて伺いました。
※聞き手 竹内 しもん(カクタスコミュニケーションズ株式会社) インタビュー実施日:2026年6月2日
(以下、本文敬称略/肩書、ご所属はインタビュー当時のものです)
海外で理解されにくい研究の論文化の苦労・・・思いがけない書籍化の機会
―――宜しくお願いします。8年前のインタビューでは、先生の研究内容として、麻酔と漢方の関係や、漢方の病態を現代医学の言葉に翻訳したいというお話を伺いました。今回、『麻酔科医が切り拓く周術期漢方の可能性』を出版されましたが、まずは書籍化に至った背景からお聞かせいただけますか。
(出野) 8年前にインタビューを受けたのは大学院で研究に取り組んでいたときでした。大学院に進学する前は主として診療業務に携わっており、症例報告の執筆はしていましたが、基礎研究の経験はなく、文字通りゼロからのスタートでした。研究テーマの「急性期病態への漢方医学の応用」はあまり開拓されていない領域だったので、実験モデルの作成から評価項目の探索、論文の作成にとても苦労しました。研究助成金に採択されたり、学会での最優秀演題に選出されたりして少しずつ成果は出始めていましたが、論文として海外ジャーナルに掲載してもらうところに壁がありました。大前提として漢方がどういうものであるかを理解してもらえないと、きちんと査読してもらえないのです。
当時の私の研究課題は、「手術後に感染症を起こしてしまいそうな人に対して、手術前からあらかじめ漢方で補強しておいて、感染症にならないようにする」という予防戦略の有効性を実験的に証明することでした。論文原稿を投稿した海外ジャーナルからは「感染症なら抗菌薬を使えばいいのではないか」「予防効果ではなく治療効果が重要である」「特定の成分を抽出して、それを医薬品として使えばよいのではないか」などという指摘を受け、リジェクトされてしまいました。
―――当時は、予防的に漢方を使うという考え方自体が、なかなか理解されにくかったのですね。
(出野) そうですね。私も学位が取れないと次のステップに進めないですし、本当にどうしようかと悩んで、かなり落ち込んでいた時期がありました。行き詰ってしまったので、一旦研究から離れて、現在所属する病院での麻酔の臨床業務に戻りました。ちょうど、そのタイミングで新型コロナウイルスが流行り始めて、急に世の中が「これからは予防の時代ですよね」という空気になったんです。そこで再び論文を投稿したところアクセプトされて、学位取得にもつながりました。
このときに、人生ってこんなものなんだなと思いました。すごく頑張っているときは、なかなかうまくいかなくても、一歩身を引いているときに案外物事がうまくいったりする。「Let It Be」や「人事を尽くして天命を待つ」ですね。やるべきことをやって、あとは流れに身を任せるくらいがちょうどいいのかなと、少し達観できるようになりましたね。
―――研究から一度距離を置いた後、今回の出版にはどのようにつながっていったのでしょうか。
(出野) 漢方は医師の世界の中でもなかなか理解されにくい分野ですし、特に手術前後の急性期領域で漢方を使うというのは難しいかなと思っていました。実際、現在の病院に赴任してからは、ずっと麻酔の仕事に専念して、漢方はほとんど使わずにいました。そんなときに、所属医局の慶應義塾大学医学部麻酔学教室の先生方を編者として教科書を出すという話があり、私も著者の一人として1セクションを分担執筆することになりました。そのテーマも漢方とは全然関係ないものでした。ただ、著者のほとんどが大学病院所属の医師であるなか、私の所属が一般病院だったので、出版社の方が「この人は誰だろう」と調べてくださったのだと思います。そこで、8年前のエディテージさんのインタビュー記事をはじめとした、急性期漢方への取り組みなどの過去の記事を見つけてくださったようで、「書籍を執筆してくれませんか」というお話をいただきました。
―――思いがけないところから、書籍化のお話につながったのですね。
(出野) そうですね。自分で最初から計画していたことではなく、そのときどきのご縁や、たまたまやっていた仕事がつながっていったという感じです。
―――その書籍化のお話を受けたとき、先生ご自身はどのように感じられたのでしょうか。
(出野) 実は、最初は断るつもりでした。執筆依頼があったのは「手術前後の周術期に漢方を使うための本」なのですが、内容がマニアックすぎて、対象となる読者は多くないですからね。ありがたいお話ではあるけれど、商業出版としては少し難しいかなと。自分の執筆した本が売れないというのはさみしいですし、出版社の方にも迷惑がかかってしまうなと思ったのです。
ただ、出版社の方がわざわざ私の職場まで足を運んでくださったので、自分がどういうことをやってきて、何をしたいと思っているのかをお話ししたんです。そうしたら、すごく興味を持ってくださって、話がどんどん盛り上がっていき、気がついたら本を出す方向になっていました(笑)。最後の一押しは「売れるか売れないかは別として、まだ日の目を見ていない素晴らしい着想や価値を世の中に出していくことも書籍の役割、出版社の社会的な使命です」と言っていただいて。そこまで言っていただけるなら、これは自分がやるべきことなのかなと思い、筆を取る決心をしました。
漢方を専門としない医療者にも手に取ってほしい
―――今回の本は、どのような方に届けたいと考えて書かれたのでしょうか。
(出野) 漢方を専門としない医師にも、普段の診療で困っていることに漢方を使ってみてほしいという思いで書きました。いわゆる伝統的な漢方医学の良書は既にたくさんあるので、今回の本は臨床現場で活用することを意識してまとめました。普段の臨床で困っているけれど、なかなか解決しないことに対して、これを読んだことで「漢方を使ってみよう」と思ってもらえる。そういうきっかけの本にしたかったんです。こういう風に漢方を使って一緒にやっていきませんかと提案、紹介する本ですね。
本を出すからには理論ばかりに偏るのではなく、自分の臨床での経験を踏まえて書かないと説得力がありません。ですので、書籍出版の話を機に、これまで細々とやっていた周術期漢方の活用の場を少しずつ拡張していきました。
―――今回の本では、漢方を西洋医学とは異なる視点から捉えている点も印象的でした。先生は、漢方の治療をどのように考えていらっしゃいますか。
(出野) よく漢方は「エビデンスがない」と言われます。もちろん、エビデンスは大事です。ただ、「この漢方は効くか効かないか」という問い自体が、本来の漢方の考え方とは少し違うんです。漢方は、その人の状態に合わせて、効くように漢方薬を使う医療なんです。少し詭弁のように聞こえるかもしれませんけどね。
西洋医学では、新しい治療を行うときに、既存の治療と比較して、どちらの成績が良いかを評価します。たとえばAという治療では30%、Bという治療では50%治るとなれば、Bの治療法が優れていると判断します。ですが、優れた治療法と評価されたBでは50%は治っている一方で、残りの50%は治っていないんです。患者さんからすると、どちらの治療法が優れているかということよりも、自分が治るかどうかが重要なんですよね。自分の受ける治療の成功率が30%なのか50%なのかということより、自分に効く治療をしてほしいと思うわけです。
漢方は「あなたにとって一番良い治療法を考えます」というスタンスの医療です。西洋医学と東洋医学は、優劣の関係ではなく、縦糸と横糸のような関係です。適材適所で組み合わせることで、より良い医療を提供できるのではないかと考えています。
―――8年前に伺った「漢方の病態を現代医学の言葉に翻訳したい」という思いは、現在も先生の中で変わらないのでしょうか。
(出野)そうですね。8年前は、漢方の病態を現代医学の言葉に「翻訳」したいという動機で研究に取り組んでいました。当時は、基礎研究という枠組みのなかで、漢方薬を服用することでタンパク質の発現がどう変わるのか、遺伝子の転写がどうなるのかというところで漢方の効果を「翻訳」しようとしていました。今は、その「翻訳」の作業を臨床の場に移して取り組んでいます。たとえば、手術中に腸が浮腫んだりお腹の動きが悪かったりする人は、術後も食事がなかなか進まず回復が遅いことが多いです。「西洋医学におけるこういった病態を漢方の言葉で言うとこういう病態ですよね。だから、この人には術後にこの漢方を投与しましょう」というような感じです。アプローチは違っても、根底にある自分の哲学、フィロソフィーは変わりません。
周術期漢方を広げるために、現場で実践すること
―――現在、周術期漢方を広げていくために、どのような活動をされているのでしょうか。
(出野) ありがたいことに、最近は周術期漢方に関する講演の機会をいただくことが多くなりました。そこでは単に漢方の話をするだけではなくて、主催者や会場の許可が得られる場合には、漢方薬の体験をしてもらうようにしています。講演の最初に漢方薬を煎じ始めるんです。それで40分くらい話したころに、「そろそろ煎じ上がりましたね。皆さん、飲んでみてください」と言って、匂いや味、見た目など、五感を通して漢方を感じてもらいます。百聞は一見にしかず、ならぬ、百聞は一服にしかず、といったところです。講演も盛り上がりますし、「漢方を飲んだことがなかったけど、意外とおいしいですね」と言ってくださる方もいます。もちろん、試飲用にはおいしい漢方薬を選んでいるんですけどね(笑)
また、漢方に興味があるという方がいたら、薬膳鍋のお店に連れていくこともあります。漢方は敷居が高いという方でも、薬膳鍋を食べると「翌朝お腹がすっきりしました」「体がぽかぽかしてよく眠れました」と言って、漢方に親しみを感じてもらえます。今はこんなふうに、草の根的に仲間を増やしています。あとは、不定期ですが院内で多職種による漢方勉強会も行っています。
―――前回のインタビューでは、「分野を継承してくれる人を残したい」とお話しされていました。今回の書籍も、そうした思いにつながる取り組みなのでしょうか。
(出野) そうですね。「周術期医学の武器の一つとして漢方を活用していこう」という啓蒙活動をすることが、自分のライフワークになっています。「周術期に漢方を使うのは結構いいかもしれない」と言ってくれる人が増えれば、私では気づかなかったような漢方の使い方が見出されることもあると思います。やはり、多くの人が関わることによって、その分野は発展すると思います。土台が広がれば広がるほど、裾野が広がり、頂の高い山ができますから。現在の活動は、その基礎を作る第一歩だと思って取り組んでいます。
また、漢方が有用な医学の一つであるということが社会の中でしっかりと認知されることも重要です。ですので、今回のエディテージさんのインタビューもそうですが、医師のコミュニティだけではなく、それ以外のコミュニティにも漢方の魅力を伝えていかないといけないと思っています。もちろん、すぐに大きく広がるものではないかもしれません。ですが、これは未来に向けた「種まき」だと思っています。20年後、30年後、さらにはもっと先、もしかしたら自分が生きている間には花が咲かないかもしれないけれど、地道に種をまく。そういうことを、淡々とやり続けています。
まとめ
前編では、書籍出版に至るまでの経緯だけでなく、出野先生が周術期漢方を「現場で使える医療」として広げたいと考えるようになった背景や、その思いを実践へとつなげるために積み重ねてきた臨床経験について伺いました。理論を伝えることではなく、日々の診療で「まずは使ってみよう」という一歩につながるきっかけを届けたいという思いが、一冊の書籍には込められています。後編では、その思いを支える出野先生の考え方や、日々の臨床で大切にされていることについて伺います。
▶︎書籍『麻酔科医が切り拓く周術期漢方の可能性』(2026年)についてはこちら



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