前編では、川崎市立川崎病院 麻酔科・集中治療部の出野智史先生に、『麻酔科医が切り拓く周術期漢方の可能性』の書籍化に至った背景や、周術期漢方を“現場で使える医療”として広げていくための思いについて伺いました。後編では、出野先生が現在の臨床現場で大切にしていること、そして若手医師・研究者への思いについて伺いました。
※聞き手 竹内 しもん(カクタスコミュニケーションズ株式会社) インタビュー実施日:2026年6月2日
(以下、本文敬称略/肩書、ご所属はインタビュー当時のものです)
現場で育てる周術期漢方
―――周術期漢方を実際の現場で広げていくうえで、現在の環境には、どのような特徴があるのでしょうか。
(出野) 私は、周術期漢方というのは研究室や机の上で完成するものではなくて、実際の臨床現場で患者さんや周りのスタッフの皆さんと一緒に育てていくものだと思っています。麻酔科業務に従事しながら、周術期管理に漢方も使える。そして、協力してくれる仲間がいて、私の取り組みに理解のある今の職場は最高の環境だと思っています。
例えば、大学病院の場合、周術期漢方のような部門を横断するようなことをやろうとすると、所属長の許可を得て、院内で審議をかけて、と段階を踏むことになります。安全性はどうなのか、責任の所在はどこにするのか、という議論も必要です。もちろんこうしたプロセスは大事なことですが、そうこうしているうちに治療の機会を逸してしまったり、機運が下がってしまったり、人が入れ替わってしまったりして、なかなか前に進められないということがあります。
一方で、今の病院は、スタッフ同士の顔と顔が見える規模感です。主治医と廊下ですれ違ったときに「麻酔を担当した患者さんがちょっと食欲落ちているので漢方を処方しますね」といった感じで話をして治療に介入できます。医師だけでなく看護師さんや薬剤師さん、栄養士さんなど、いろいろな職種の方々の協力を得て、実際の現場で試行錯誤しながら取り組むことができるのはありがたいことです。また、漢方薬の研究者は、薬草の研究に秀でていても、周術期の医療現場でこういう取り組みをするのは難しいです。漢方医学の専門家も、漢方外来ではすばらしい診療をされると思いますが、手術医療と言った西洋医学に任されている領域には、なかなか踏み込みにくい。だからこそ、そこの架け橋となるというか、どちらの領域にも足を踏み入れている自分だからこそできることがあるのかなと思っています。
実際、私の取り組みを評価していただいて、いくつかの大学から講師やスタッフとして来ないかと声をかけていただいたことはあります。とてもありがたいお話です。ただ、周術期漢方は今の場所でゼロから始めて、徐々にやりやすい環境になってきています。アカデミアのポストや肩書きを求めるというよりは、自分の理想とする医療を追及し、研鑽することで、より精度の高いものを世の中に出していくことを目指したいと思っています。そして、今はここが一番やりやすいんです。
―――今の環境だからこそ、日々の臨床の中で学べることも多いのでしょうか。
(出野) そうですね。漢方に限らず臨床は患者さんから学ぶことが何よりも大事なんです。理論上はこの漢方が効くはずだと思っていても、患者さんは正直ですから、改善がなければ「効いていない」と教えてくれます。そうすると、自分の診断プロセスのどこに改善の余地があったのかを振り返って修正することで、治療の精度を上げていくことができます。
患者さんに漢方を出すときも、ただ出せばよいわけではありません。「あなたの体を見て、一番合うものを出しているんですよ」と伝えると、患者さんはすごく前向きな気持ちになります。特に大変な病気ほど、本人の治療への意欲が大切になると思っています。どんなに良い治療でも患者自身に治そうとする気持ちがなければ治療はうまくいきませんから。そのあと押しをするのも医者の仕事だと思っています。少しスピリチュアルな話になってしまいますが、それが私の医者としての哲学というか、臨床医の役割の一つだと思っています。
―――大学で研究を続けていた場合とは、また違う形で現在の取り組みにつながっているのですね。
(出野) 大学で研究を続けていたら、あまり現場での漢方診療の経験が得られなかったかもしれません。今の環境だったからこそ、周術期漢方を書籍化できた部分もあると思います。
「場作り」と「縁送り」という価値観
―――研究や臨床に向き合ううえで、現在大切にされている価値観はありますか。
(出野) 麻酔科医の仕事は、生体内の環境の乱れを整える場作りと言えます。麻酔がかかって意識がなくなったり、血圧が下がったり、呼吸が止まったりする状態を、人間の体が生きられるようにして、手術も安全にできるようにする。それは、生理学的な場を作る仕事です。漢方も、陰陽や気血水といった生命のバランスの乱れを整える医療です。ですから、私の医者として、研究者としての仕事は、人間(生体)の生理学的な場を作るということです。
もう一つ大切にしていることは、社会的な場作りです。いくら医術が優れていても、自分一人ではやりたいことはできません。日々の臨床がスムーズにできるのも同僚の医師、コメディカルの方々の協力のおかげです。また、学会や講演にお声掛けくださる方のおかげで、周術期漢方の取り組みを多くの方々にお伝えすることもできています。組織や仲間、チームづくりも含めて、社会的な場作りができないとうまくいかないんですね。医学的なアプローチと社会的なアプローチ、その両面から「場作り」をしていくことが、私が大切にしている価値観です。
―――医学的な場づくりだけでなく、人や環境も含めた「場づくり」を大切にされているのですね。そのほかにも、先生が大切にされている考え方があれば教えてください。
(出野) もう一つ、私が大切にしている言葉に「縁」があります。私は奨学金をいただいて医学部で学んだのですが、そのときに奨学金を拠出してくださった方々との懇親の場で「恩を感じなくていいから、縁を感じてください」と言われたんです。そして、その縁を次に送ることが最大の恩返しなのだと。それ以来、「縁送り」という言葉として心に留めています。周術期漢方の取り組みも、私を漢方の道に導いてくれた方々がいて、今の自分があります。これもご縁です。いただいたご縁を次の世代へと送っていきたいんです。
今回のインタビュー記事を読んで、諦めかけていたけれどもう一度自分のやりたいことを貫いてみようと思う人がいるかもしれません。書籍を読んで、漢方を勉強してみようと思う人がいるかもしれません。何でも良いのですが、そういう縁がつながることが、自分にとっての喜びです。
蒔かれた場所で芽を出し、花を咲かせる
―――今後、取り組みたいことや、これから広げていきたいことはありますか。
(出野) 今は、0から1にした周術期漢方を、1から10、10から100にしていきたいという思いがあります。ただ、そこまで風呂敷を広げすぎず、まずは1を2にするくらいのつもりで取り組んでいます。漢方には、保険診療の中で処方できる日本だからこそ活用できる強みがあります。もし保険診療から外れてしまえば、先人たちや私たちが積み重ねてきたものが失われてしまうかもしれません。だからこそ、医療者だけでなく、社会全体にもその価値を伝えていく必要があると感じています。繰り返しになってしまいますが、20年後、30年後、もしかしたら自分が生きている間には花が咲かないかもしれない種をまく。そんな気持ちで、目の前の一つひとつの課題に取り組んでいます。
―――最後に、研究や臨床の現場で悩みながら挑戦を続ける若い世代へ、先生が今伝えたいことを教えてください。
(出野) 私は研究で挫折を経験しましたけれど、紆余曲折を経て、結果的にはやりたかったことができて、とてもやりがいのある日々を送っています。今回のインタビューではその過程を赤裸々に語ったつもりです。これが悩める若者への励ましになればよいなと思っています。私は、少しでも良い環境を探し続けるよりも、今いる場所を自分にとって良い環境にすることが大切だと思っています。自分がどこに置かれるか、世の中がどう変わるかなんて、わかりません。理想の場所ばかり追い求めていると、ずっと満たされないままになってしまいます。「蒔かれた場所で芽を出し、花を咲かせる」という言葉がありますが、今いる場所で自分に何ができるのかを考え、一つひとつの仕事を大切にする。その積み重ねが、いつか思いもよらない形でつながっていくのだと思います。
私自身、失敗だらけでしたし、研究で挫折した時期もありました。ですが、その中でも自分のやりたいことや信念だけは曲げませんでした。そうすると、見ている人は見ていて、ご縁がつながっていくんです。一つひとつの仕事を大事にしていけば、どこかで「ああ、これでよかった」と思える時が来る。だから、辛いことがあっても、自分のやりたいこととか、何が大事かとか、そういうことを大切にした方がいいですよ、というのが私のメッセージですね。今回のインタビューを読んで、「自分のやりたいことを続けてみよう」と思う人が一人でもいてくれたら、それが何よりうれしいですね。
まとめ
「場作り」と「縁送り」。出野先生が大切にされているその二つの言葉には、目の前の患者さんや仲間、そして次の世代とのつながりを大切にしながら、一歩ずつ周術期漢方の可能性を広げていきたいという思いが込められていました。
一つひとつの出会いや実践を大切にし、その縁を次へとつないでいく。そんな出野先生の歩みが、これからも多くの医療者との新たなつながりを生み、周術期漢方の可能性をさらに広げていくことを願っています。
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