研究者にとって最も貴重な資源は、実験機器でも資金でもなく、時間です。実験、診療、教育、報告、論文執筆。どれも欠かせない業務の中で、限られた時間をどう使うかが研究の質を左右します。その「時間の再配分」をめぐり、AIを活用する試みが着実に広がっています。
この記事では、京都大学の和田氏らによる、「日本における論文数停滞の要因の分析」と「研究者の論文執筆における時間的制約の解決策として自動化・業務効率化を目的としたAIツールの導入」についてまとめた短報(Brief Report)をご紹介します。
同短報では、京都大学医学部附属病院での英語論文執筆支援ツール「Paperpal」導入事例も取り上げられており、現場での課題意識とその具体的な対応が示されています。
| 日本臨床試験学会雑誌2025 年29 巻 p. 20-27 日本の研究力の現状とAIツールによる論文執筆の効率化を通じた研究力向上の試み 和田 由美, 堀松 高博, 池本 翔子, 岡﨑 麻紀子, 波多野 悦朗 (DOI https://doi.org/10.69265/jjsctr.29.0_20) https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsctr/list/-char/ja |
研究時間をどう確保するか:AIが“余白”を生み出す
京都大学の和田 由美氏らの調査によると、日本の臨床医学・生命科学分野では論文数や被引用数上位10%の割合が主要国に比べて伸び悩んでいます。

| ・論文数:米国は年間約36万件で第1位、日本は約5.5万件で第5位。 ・Top10%論文数(世界の同分野・同年代の論文のうち被引用数上位10%に入る論文数):米国は約4万件、日本は約4千件で最も低い。 ・Top10%論文割合(3年間平均値):フランスは14.1%と世界最高水準に対し、日本は7.5%で最も低い。 |
つまり、日本は論文の「量」において他国に大幅な後れを取っているのが現状です。
こうした課題の背景には、研究者が本来の研究活動に充てる時間を確保しづらいという構造的な問題があります。臨床や教育、診療など多岐にわたる業務に加え、論文執筆や投稿準備には多くの時間と労力を要します。特に英語を母語としない研究者にとっては、文法や表現の修正に時間がかかり、研究成果の発信が遅れる要因にもなっています。
「non-native Englishの研究者、特にキャリアの浅い研究者は、英語のライティングが原因でジャーナルからリジェクトされる可能性が高い」
(和田氏ら, 2025)
このように、言語面でのハードルが研究者の時間的負担をさらに増やしている現状を踏まえ、著者らはAIツールの導入による自動化・業務効率化を検討しています。英語執筆の負担を軽減し、研究者が本来の探究や実験により多くの時間を割ける環境を整えることが、AI活用の主たる目的として位置づけられています。
海外に広がるAI導入
国外の大学や研究機関では、すでにAIを活用した文書作成支援の導入が進んでいます。実際、研究支援部門・研究管理業務における AI/自動化導入の試みは海外でいくつか報告されています。たとえば、Emory University では研究管理部門において、ChatGPTを参考にした生成 AI モデルを使って定型業務支援のPoC(概念実証)を行った事例があります。また、研究事務部門で最も負荷の高い契約・合意管理業務の自動化を試みている大学もあり、AI による支援が研究運営の効率化に貢献しつつあります。
さらに、University of Calgary や University of Melbourne では、大学運営や教務・行政分野における定型業務を自動化し、年間多数時間の削減を実現した報告もあります。
こうした実績を踏まえると、たとえ「論文執筆支援」に直結する導入がまだ限定的であっても、大学組織全体で AI/自動化を用いて時間を削減する方向性は既に現実味を帯びてきていると考えられます。
信頼性と倫理:AIに“判断”を委ねない
一方で、執筆においてAIの活用には懸念が存在します。AIが生成する文章は自然に見えても、論理の精度や専門的なニュアンスの正確さを保証できない場合があります。研究論文のように厳密な根拠と再現性が求められる領域では、人間による検証が欠かせません。
この点において、世界の出版社や大学はガイドライン整備を進めています。
ElsevierはAI利用を明示した投稿を正式に認め、Nature誌も「AIは著者にはなりえないが、言語支援としての利用は歓迎される」と明記しました。
つまり、AIは“代わりに書く”存在ではなく、研究者が自らの判断力をより活かすための補助的な技術として位置づけることが重要なのです。
“書く”という行為の再構築:AIが支える新しいライティング
京都大学医学部附属病院 先端医療研究開発機構では、実際に英語論文執筆支援ツールPaperpalを導入し、研究者の執筆負担軽減を検証しました。翻訳や文法修正、アカデミック表現の変換などを自動化するこのAIツールにより、研究者はWord上で文章を整えながら論文の質を高めることができます。
2024年に行われたトライアル調査(臨床医学分野の研究者56名対象)では、操作性・機能性・作業効率の各項目で8割以上が「とてもそう思う」「そう思う」と回答。自由記述では「英語論文の執筆速度向上」「翻訳と校正の一元化」「語彙の統一」などが挙げられました。
| トライアル調査(2024年6〜9月、56名回答) ・操作が分かりやすい:84% ・必要な機能がそろっている:90% ・修正提案が適切:78% ・継続利用を希望:86% ・作業効率化に寄与した:82% |
この研究は、AIによるライティング支援が研究時間の確保にどのように寄与するかを示した国内の実証例として注目されています。
AIと人が協働する時代へ
AIは研究者の代わりに実験を行うことも、結論を導くこともできません。しかし、論文執筆や文書整理といった周辺業務を支援することで、研究者は本来の探究により多くの時間を費やせるようになります。AIがもたらすのは、単なる効率化ではなく、“思考のための余白”です。その余白をどう使うかが、これからの研究の質を決めていくでしょう。
出典
• 和田由美ほか(2025)『日本の研究力の現状とAIツールによる論文執筆の効率化を通じた研究力向上の試み』日本臨床試験学会雑誌, 29:20–27.
• Elsevier(2024)“AI policy for authors.”
• Nature(2023)“Tools such as ChatGPT threaten transparent science; here are our ground rules for their use.”
• Emory University, Office of Research Administration(2025)“Advancing Research Administration with AI: A Case Study.”
• Nature(2024)“How AI tools are streamlining research contract management.”
• University of Calgary(2024)“How the University of Calgary automated administrative tasks.”
• University of Melbourne(2024)“University of Melbourne saves 10,000 hours annually.”
Paperpalは、リアルタイムに言語と文法を修正するための提案を行い、著者がより良い文章をより速く書くことを支援するAIライティングアシスタントです。プロの学術編集者によって強化された何百万もの研究論文に基づいてトレーニングされており、機械的なスピードで人間の精度を提供します。


